“文庫界のコロコロコミックこと京極夏彦の本”
“人は「この人と一緒にいると、とても自由に振る舞える」と思えたとき、愛を実感することができます。劣等感を抱くでもなく、優越性を誇示する必要にも駆られず、平穏な、きわめて自然な状態でいられる。ほんとうの愛とは、そういうことです。”
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St. Mark’s Bookshop

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“「最近ので、なにか面白い文房具ってありますか?」とかぼんやりした質問をしたら最後、「じゃあまずここ一年のボールペンムーブメントから…」で始まり最低2時間は離してくれない面倒くさい文具の人たちことブングジャム”
“ アジアのいろんな国に、
 少しずつだけ行ったことがあるが、
 そこで「アジアっぽいなぁ」と感じたものは、
 たいてい、日本の祭りやら衣服やらのなかに
 採り入れられていることが多い。
 いったん、その目になってしまうと、
 旅先の珍しいはずの風景に、
 日本のなじみのある色や、柄、かたちなどが
 重なって見えてくるものだ。
 日本は、日本という島国だけれど、
 あきらかにアジアの網のなかの一部分としての島だ。”
““街的”というのは、「都会を使いこなす」「田舎へ帰ろう」といった二項対置ではなく、日本全国ひいては世界どこに行っても、そこにしかない面白さを見つけられるという姿勢です。それには体験と健康な五感の働きが必要。さて五感が働く心身でいるためには、日々何を食べ、どう暮らし⋯ということになるわけで、結局は自分の遊び働き暮らす街に愛着を持ち、よく知ることが大切だったりする。”
“センスは、複雑なものに対する判断基準だ。ファッションでは色、形、素材、模様、その組み合わせ、本人との相性など多様な要素が組み合わさる。個別解はあっても一般解は導きづらい一方で、センスの良いとされる人は一瞬でそれを判断してしまう。センスは生まれつきのものと、思わず言いたくなる。 センスは簡単に言葉で表現できるものではない。複雑だからだ。だがセンスの身につけ方は表現できる。実践と記録を通じて、何が正しいのか、何が好きなのか、何が流行りなのかを自覚し続け、後に身体感覚になっていくということ。 好きなものを大量に集める。なぜそれが好きなのかを考える。共通点がなんとなくある。それを自覚した上で、正解とされるものも大量に見る。「正しい」と「好き」は重なっているところもあるが、ずれているところもある。「正しい」の中に入らない、自分の「好き」は、脇に捨てる。継続的にやっていると、「正しい」の中にも「流行」と「普遍」があることに気づいてくる。あとは実践、自分でやってみる。わかっていたつもりでも自分で実践すると思い通りにならないことが多い。それも自覚する。繰り返し続ければ、自分の中に「自分ができて、自分が好きで、正解で、流行のもの」の感覚が生まれてくる。その感覚はいつしか発展して、なにか違う感じになっている時に、違和感という形で無意識のうちに立ち上がるようになる。”