“優雅な時間というのは大事だと思いますけど(笑)、時間をかければいいものが作れるとは限らないということは、途中からすごく意識するようになりましたね。特にMacBookを持ち歩くようになってからは、新幹線を待っている時間にも音楽が作れるようになったわけで。制作環境の変化というのも、大きかったです。それと、やっぱり歳のせいですかね(笑)。年齢的なことを考えてもそうですし、例えば親友が他界したりすると、「自分の人生もいつ終わるかわからない」ということを考えざるを得なくなってきていますからね。そうすると、あまり作品を煮詰めてばかりいる場合じゃないと思うんですよ。レコードの時代からCDの時代になって、今はMP3の時代かもしれないけど、それでも作品のことを「アルバム」って呼ぶじゃないですか。要は、作品っていうのはある時期の自分の写真のアルバムのようなもの、1つのクラスタ(集合体)だと思うんですよ。そう思うと、なるべく自分のある時代ごとに、ある気分ごとに、ちゃんとそのクラスタを残しておきたいと思うんですよね。昔はもっとコンセプチュアルに煮詰める作業みたいなものも好きだったんですけど、そこはだんだん変化してきた部分だと思います。”
“糸井 見られる人間として生きるって
決めちゃった場合には、
演じること自体が好きになっていく
ということはあるかもしれませんけど。
ぼくの場合は、演じるのがすごく苦手なんで、
影にいるときも、表でいるときも、
できるだけ同じでありたい。
そうすると、やっぱり、
「万人にわかってもらいたい」というのを
なるべくやめるようにしよう、と。”
“ 本業の仕事の他に、ゲームづくりをするというのは、
 なかなか大変なことだったような気もしますが、
 大変さとか苦労とかっていうのは、
 あんがい記憶にないんですよね。
 というより、うれしかったことも記憶から消えてるわ。
 細かいセリフだとか、遊びのしかけのことだとか、
 表現のほうが忘れにくかったりするものです。”
“ぼくは、ぼくの人生よりも長いものをつくりたいのかも。”
“成功の階段って、下の入り口のところだけやたらと混んでいるんですが、ちょっと上の方まで行くと、ガラガラのエスカレーターになってて、勝手に上まで登って行くんですよ。”
“「Sound of Honda」に対する審査員長評は「退屈にも思えるビッグデータを血の通った表現に転換した」というものであった。同様のことはほかの受賞作にも当てはまる部分がある。「デジタル時代のマーケティングにおける人間性の追求」が、このフェスティバルの大きなテーマであり存在意義でもある。 いずれにせよソーシャルメディア(プラットフォーム)に限らず、ニューテクノロジーそれ自体はすでにデフォルトであり、「それぞれの環境で動作する双方向性の高いシナリオの描き方」を考えることが特に重視されている。カンヌではこれを「ストーリーテリング」という言葉で言い表す。顧客とのカンバセーションの大切さが強調され、それを持続するための辛抱強さも求められる。となると結局、仕組みではなく中身が大事だ。テクノロジーの新規性で競ったり、マーケティングがそれに振り回される時代は終わったと感じる。”
“吉野氏 eastern youthは生きる支えとして、俺にはこれだけしか出来ないと思ってやってきました。
その音楽との向き合い方は上京当時から変わっていません。野望は無くて、こんな風にお店で、お酒を飲んで曲を書いて、それが求める人の手に届けばそれだけでいい。シンプルにそれだけです。”
“「言える」ということが、
なんというか、ひとつ、大きなことなんです。
つまり、走ったり跳んだりすることって、
体のことなんで、選手本人も、
ぜんぶを「言える」わけじゃないんです。
言えないんだけど、でも「できる」とか、
意識してないんだけどできちゃう、
そういうことがけっこうあったりするんです。
そういうときに、「言えた」と同時に、
意識しないでやってたことが、
意識的に「できる」ようになることがあって。”
“ オフは、オンの家来じゃない。
 もちろん、オンもオフのためにあるわけではない。
 オンにはオフが、オフにはオンが
 どっちも混ざっているというものなのだ。”
“少女時代はネクラなお笑いマニアであり、一部の友達にだけ披露して笑いをとっていたが、授業中に『走れメロス』を感情を込めて朗読したことで人気者となる。”